
13日、高知新聞「土佐あちこち」欄に「吾桑の電話帳」が載ってから「出ちょったねぇ」とよく声を掛けられる。
吾桑では当たり前の電話帳となっているが、昭和の終り、作成に係わった当時の分団長、定やんらは仕事が終わって、毎日消防屯所に泊り込み、寝ては書き起きては書きして仕上げたという。
そのエネルギーは、今でも分団の語り草であり、地域の宝として残った。
平成元年初版、12年にリニューアル版として地元に受け入れられた。
残念なのは、個人名の電話帳のなくなる時代、更新増刷り出来ないことだ。
只、其々の家庭の書き込み次第によっては、家の歴史の刻みとして残るかもしれない。
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